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真夏にKyoto(2)  [travel]

家でガイドブックを読んでいるときは、

「せっかく鞍馬寺に行くのならついでに貴船神社も」、

などということも夢想しておりましたが、

あの清少納言が「遠くて近きもの」と詠んだ九十九折りの坂を登りきった後では

とてもその気力・体力が残っておりません。 

 マイナスイオン全開の山道を下り、ケーブルカーの駅へ。

登りは30分かかった山を、ほんの3分であっさり下ります。

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運賃はたった100円!!

牛若丸も修行したという鞍馬を後にして再び叡山電車に乗り込み、

今度は「宝が池」で一旦下車。

一両だけの小ぶりな電車に乗り換えて、

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叡山電車のもうひとつの終点、「八瀬比叡山口駅」へ向かいます。

かつては遊園地があったことから観光地として栄えたようで、

駅の大きなドームが往時の繁栄を偲ばせてくれます。

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クラシックな鉄骨の骨組みが実にすばらしい。

この駅は1925年の竣工ですが、

無骨な素材を使いながらも機能美と優美さを生み出しているのは、

当時の建築家の腕ですね。

もちろん外観だってなかなかのものです。

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クラシックな建物はこうした閑静な景色に妙にマッチします。

折り返しの電車に乗り込み、今度は「修学院」で下車。

ここからしばらく師匠のリクエストに従って行動します。

修学院駅付近の、よくわかないアングルを撮影しまくる師匠、

しばらくすると松ヶ崎方面へ移動を始め、時折持参のPSPで何かを確認しながら、

相変わらず不思議なアングルやら界隈の喫茶店やらを撮影。

やや退屈な父は川沿いの並木や

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幾度か訪れたことのある工芸繊維大学を

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カメラに収める。

工芸繊維大あたりまできてようやく修学院方面へ引き返し、駅前を通り抜けて白川通りまで出て、

バスで「一乗寺下がり松」へ。

宮本武蔵が吉岡一門70人を打ち破ったという伝説の決闘が行われた地です。

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今は住宅に囲まれて探し出すのに苦労しますが、

かつてはこの一本松が比叡山へ登る雲母坂の目印だったそうです。

昼食は、これまた師匠の強いリクエストで、下がり松の近くにある白川通り沿いのマック。

そして、ここでもPSPで何かを確認する師匠。

何を確認しているかようやくわかりました。(詳しくは別な章で)

さて、この白川通り、道路の真ん中にイチョウ/ケヤキ並木が連なっていて

落ち着いた美しい景観を生み出しています。

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この界隈が高級住宅地になるのもわかるような気がします。

昼食後は、再びバスで白川通りを南下。

某芸術系大学のキャンパスを撮影して

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ようやく師匠は満足したのでした。

(つづく)


真夏にKyoto(1) [travel]

今年は8月に業務予定が目白押しで、到底夏休みなどとれないと覚悟していたところ

突然師匠が、「今年は京都に行くべし!!」と強硬に主張をします。

スケジュールをやりくりしたら7月末なら動けるので、出張なみの手早さで手配を完了。

この親子、これで夏休みは3年連続の関西となりました。

今年は朝6時半品川発の新幹線に乗ります。

行きの新幹線の時間が、年ごとに早くなっているような気がします・・・・・。

京都に着いたのが8時半をちょっと過ぎたあたり。

バスと電車を乗り継いで市内中心部を通り抜けて「出町柳」の駅へ向かいます。

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まずはここから叡山電車で鞍馬へ向かいます。

こんなに朝早くから鞍馬へ行くような酔狂な人はそんなにいないだろうと油断していたら

これが結構混んでいて、展望電車の「きらら」はほぼ満員でした。

2両編成の小さな電車は、洛北の住宅地を抜けると、どんどん山奥へと進み

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そのうちにこんな木立の中を走っているうちに終点の鞍馬へ到着。

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古都の郊外っぽい木造駅舎です。

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駅舎の横には、古い電車の先頭部分が展示されています。

師匠は、今年の夏休みの鉄研テーマが「叡山電車」だそうで、

最新の展望電車との組み合わせのカットは外せません。

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駅前の広場にある大きな天狗のお面も外せません。

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そしていよいよ「鞍馬寺」、仁王門のところですでに「山登り」の予感。

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ケーブルカーがあるので、行きはケーブルにしようぜ、と師匠に提案したところ、

「山は下りがきつい。故に登りは歩きで、下りをケーブルにすべし」。

ということで、由岐神社のご神木もヒイヒイ言いながら眺めて通過するだけ、

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その後は九十九折の坂を大汗をかいて歩いて登り、

ああ、やっと本殿じゃと思ったら目の前にはこんな階段。

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ようやく辿り着いた鞍馬寺本殿金堂。

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目の前には比叡山。暑さや疲れも吹き飛ぶ眺めです。

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DNAの奥底にプログラムされているのでしょうか、

生命感というか活力が湧いてくるような不思議な感覚があり、

古来の山岳信仰というものがわかるような気がしました。

(つづく)


09年初の遠征は広島~聖地巡礼編 [travel]

日を追うごとに景気減速が深刻化して
日本企業の業績が軒並み過去最悪レベルまで落ち込む中、
いつものオジサン軍団だけはカラ元気を出して遠征。
今回は広島です。

広島にはopas10にとって「聖地」ともいうべき場所があり、
何が何でも巡礼せねばならぬ、
ということで、普段なら絶対にできないような早起きをして
8:15羽田発の飛行機に乗ります。
市内に入り、いったんホテルに荷物を預けて「聖地」に向かいます。

広島市内は路面電車が縦横に走り回っていて、なかなか便利。
師匠のためのお土産カットということで早速撮影。
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あっというまに町の真ん中にある目的地に到着。

opas10が広島で必ず訪れたかった「聖地」はここ。
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カープファンにとって過去幾多のドラマや感動が生まれ
そして今年3月には閉鎖、取り壊されてしまう
「広島市民球場」。

opas10は、北の方の生まれながらも、野球はず~っと広島カープのファンなのです。
初優勝した1975年以来、カープ一筋。
しかし、本拠地の広島市民球場でカープの試合を見る、
という願いが叶わないまま昨シーズンが終わり、3月には球場が閉鎖になります。
せめて最後に「聖地」市民球場を見ておきたい、球場に一礼したいというのが
今回の遠征で業務以上に重要な目的でした。

外から見るだけでも、と思っていたら
嬉しいことに球場の中が自由に見学できるようになっていました。
早速中に入り、階段を上ると
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すぐにグランドです。
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思わず手を合わせて拝んでしまいました。
ここで高橋慶彦が走り回り、衣笠が複雑骨折の翌日にフルスイングをし、
水谷ジンちゃんやライトル、ギャレットがピンポン玉のように長打を連発。
三村から始まり正田、野村謙二郎から今の東出に至る攻守好打の内野手の系譜や
外木場→池谷→山根→川口そして津田恒美で頂点に至るといった快速球の系図、
その一方で、福士、北別府、佐々岡のような精密機械のようなコントロールの投手・・・。
などなど、頭の中にはかつての名手の活躍が次々と去来します。

外野席には入れないので、内野から眺めるしかありませんが
広島ファンにとって特別なポジションといえばここでしょう。
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ミスター赤ヘル、山本浩二のポジションの「センター」。

今でこそ星野ジャパンの頼りないコーチ、
日テレの「黒バラ」では妙なオジサン扱いされていますが、
広島ファンにとって山本浩二といえば神も同然。
おっと呼び捨てちゃいけない、「山本浩二様」。
攻守走の3拍子が揃ったスーパースターでした。
4番山本の「起死回生の一発」が何度チームを救ったことか。
衣笠と山本の二人の「試合を休まない」、「練習もプレーも手を抜かない」姿勢が
広島カープ黄金時代の伝統を作り上げたのです。
今でもカープの若手はよく練習するといわれているそうですが、
それは山本と衣笠が作り、高橋慶彦がサクセスストーリーとなってチームに定着していったものです。

市民球場は狭い、とよく言われていました。
東京ドームや神宮に比べると確かに狭いことは狭いのですが
その分選手とめちゃくちゃに距離が近いことが実感できました。
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これは選手にとってもファンにとっても非常によい環境だったのじゃないでしょうか。
この距離だと選手が少しでも手を抜いたら目利きのファンにはすぐバレてしまうし、
ヤジなんかもよく聞こえるでしょう。
選手の方はプレーに手が抜けないし、ヤジられないよう、褒められるように一生懸命練習する。
広島カープで名内野手が輩出するのはそういう理由があったのかもしれません。

ブルペンはいまや物置になっていましたが、ここもスタンドから近いしよく見えます。
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江夏~津田~大野~佐々岡そして永川に至るリリーフエースも
この距離感が生んだのかもしれません。

本当にほどよい距離間に市民球場、取り壊すには非常に惜しいと思いつつも、
一方で女子トイレですらこんな状態。
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場末の居酒屋でももっとちゃんとしているような・・・。
公共部分の貧弱さを見ると、やはり寿命だったのかと思わざるおえません。

気がつけば無人の球場に30分以上居続けていました。
最後の姿を目に焼き付け
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無人のグランドに一礼して聖地巡礼を終了。

球場前の道路を反対側にわたり、もう一度外観を撮影して
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後ろを振り返ったら、そこは原爆ドーム。
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日本人としてはここも巡礼しなければいけない、ということで
手を合わせて頭を垂れてきました。

(つづく)

年末北方活動録(4)帰路はあっさり編 [travel]

正月2日、箱根駅伝のランナーがまだ1区を走っているうちに実家を発つ。
東京へ戻るという日になって、これまでで一番の好天。
道路の雪もすっかり消えて実に運転しやすい。
あっという間に駅に到着。
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あの連日の雪かきはと冷え込みは一体何だったのか、とちょと損をした気分。

駅の待合室からも、この町のシンボルの山がよく見えました。
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当然のように、列車は遅れることもなく快調に函館へ向かいます。
快晴なので海岸線が実にキレイ。
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函館で乗り換えて八戸へ向かう車内で、
元旦は岡山方面を回った開祖へ北海道の風景をメール。
今日は大阪、京都を回っているようです。
伏見に行くというので「寺田屋」の情報を送る。

本州上陸後、青森県でもすっかり雪が無くなっていました。
一週間前の吹雪がウソみたい。
浅虫温泉のあたりではこんなです。
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開祖は京都から伊勢方面に向かうというので、
夕食には「伊勢うどん」を薦める。

八戸からの新幹線では爆睡。
拍子抜けするくらい順調に東京に帰着。
家にたどり着いたら師匠は年末に仕入れた「A列車で行こう」にドップリとハマっていました。

年末北方活動録(1)寒波の往路編 [travel]

この年末も北方にある実家へ単独帰省。
地球温暖化が言われる中、今年の年末は大変厳しい寒波に襲われました。

例年冬に北方に移動する際はJRを利用するopas10、
今年は寝台のチケットがとれず、昼間の移動となりました。
朝7時半に東京駅から「はやて」に乗ります。

東京地方は朝から晴天、冷え込んだせいもあり空気が澄んでおり、
大宮の手前では富士山がくっきりと見えました。
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快晴の冬の朝ならではのお楽しみ。
これがあるから関東の冬はいいのですよねえ。

大宮を過ぎると冬晴れの関東平野が広がります。
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これまた実によい景色。

さて、宇都宮を過ぎると関東平野も終わり、那須山系に近づいてきます。
山の方には何やら不気味な暗い雲。
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トンネルを抜ると那須塩原近辺、
関東平野から山地に入るといきなり雪景色になりました。
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これ以降車窓はずっと雪景色です。
その昔、白河以北一山百文と言われ、僻地扱いされてきたのは
関東平野に比べるとケタ違いに厳しい気候があったからなのでしょう。

仙台まではずっと吹雪、
じゃあ岩手県なぞはさぞや大荒れだろうと思いきや、
盛岡を過ぎると時折日が差し、栗駒山系がキレイに見えました。
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八戸で新幹線から普通の特急に乗り換えて函館に向かいます。
駅のホームはすっかり凍りつきベラボウに寒い。
少しばかり吹雪いています。
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八戸から青森までの間はかなり雪深く、今年の冬の厳しさを感じさせます。

青森を過ぎてopas10ご用達の八戸の駅弁「小唄寿司」
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で昼食をとっていると
車窓の外は猛吹雪。
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ここまでの悪天候は初めてです。

青函トンネルを抜け北海道に入っても相変わらず雪深い状態ですが、
函館に近づくと太陽が出てきました。

なんだ、北海道は天気いいんだ、と思っていたところ車内アナウンスで
北海道内は朝から悪天候で列車のダイヤが大幅に乱れているとのこと。
そのうち車掌がやってきて、乗継列車の説明を始めました。
どうやらopas10が乗り換える予定の列車は滅茶苦茶に遅れており、
その一本前の列車ですらまだ函館駅に到着していないとのこと。
一本前の列車がすぐに折り返しになるのでその自由席に乗車してくれ、と言われる。

函館駅に着いたところ、一本前の列車もあと1時間しないと到着しないとのアナウンス。
指定じゃなくなったので寒いホームに30分並び、どうやら座っていけることになりました。
予定より一間少々遅れて函館発。
北海道内悪天候というものの函館付近は晴れており、
大沼公園のあたりでは駒ケ岳がきれいに見えました。
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ホントに天気悪いのかよ、と油断していたら長万部の手前から猛烈な吹雪。

目的の駅に到着したら、これまた凄い吹雪と凄い寒さ。
ここ10数ではここまでヒドイ天気は記憶にアリマセン。
駅前でレンタカーを借り、ツルツルになった道をソロリソロリと走って実家に向かうも
途中で猛烈な地吹雪に遭い、視界が1メートルくらいになった時はマジにビビリました。

実家に戻るも、車庫の前に大量の降雪。
荷物を下ろす間もなく雪かきで20分。
その夜は一晩中暴風雪が吹き荒れました。
結局この日は千歳空港発着の航空便はほぼ全便欠航になったそうで、
JR利用だからこそ辿りつけたようです。
しかし前日までは雪もなく晴天だったとのこと。

翌朝部屋の窓を見ると、氷の結晶がはりついていました。
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なんと、暴風雪が吹き荒れる天気がここから3日も続きました。

(つづく)

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