炎のストッパー 殿堂入り!
建築にけいおん、そして新年にはケイサツと、
なぜか「け」始まりのネタが多い当ブログで、
久々に頭文字「け」以外のネタです(笑)。
実はopas10は北方出身なれど、
1975年の初優勝以来筋金入りの「広島カープ」ファンなのです。
金曜の夜にニュースを見ていたら、
80~90年代のカープ黄金時代を支えた投手2人が
「野球の殿堂」に選ばれたじゃないですか!
一人は、精密機械と呼ばれるコントロールで
カープ黄金時代のマウンドを守り続けたエース北別府学。
彼以降、日本球界で通算200勝を超えた投手は出ておらず、
記録からしても順当な人選です。
そしてもう一人、これが何よりファンにとっては嬉しかった!!!
剛速球と真っ向からバッターに立ち向かう姿勢で
我々カープファンに猛烈な印象を残しながらも、
全盛期に病魔のために32歳で早逝した、
「炎のストッパー」津田恒美。
このニュース聞いた時は嬉しくてちょと涙腺緩んじゃいましたよ。
津田の剛速球がどのくらい凄かったかというと、
インコースのストレートをファールした原辰徳が
左手首を骨折しちゃったくらいなのです。
84年、86年のカープ優勝は、彼なしでは為しえないことでした!
津田投手が亡くなった翌年、
NHKスペシャルで彼の闘病生活を追跡したドキュメンタリーが放映されました。
再生はこちらから→「津田恒美 もう一度投げたかった」
もう一度マウンドに立ちたい、
その一心で病魔と真っ向から闘ったものの、
奇しくも93年のオールスター戦初日、
まさに試合が行われる福岡の病院で亡くなったのでした。
その事実を知った時、
「もし野球の神様がいるとしたらなんと残酷な仕打ちをするのか!」
と思ったものです。
ただ、この番組のラストシーンがものすっごい良かった!
残された奥さんの晃代さんと息子の大毅君がキャッチボールをしているシーンを、
晃代さんの後方からカメラが取っていました。
この大毅君、顔が津田投手と全く同じ(笑)。
オマケに幼稚園に入ったかどうかという年齢なのに、
ものすっごい早いボールを投げているのです。
「遺伝」というのはこういうことを言うのか、
とホッコリ和んでいたら、
大毅君の投げた球が、カメラを直撃!
カメラは大きく揺れながらも、
誇らしげな大毅君と、笑顔で振りむく晃代さんの表情を切り取る、
という終わり方でした。
その大毅君はその後も野球を続け、
あの古葉竹識さんが監督をする東京国際大学へ進んだのでした。
市民球場も取り壊されてしまい
(2009年1月の写真:opas10が聖地巡礼(笑)した記事はこちらから)
かつての「強い赤ヘル軍団」の名残りがどんどん消えてゆく中で、
短い期間とはいえ猛烈な光芒を放った津田の功績が
野球の殿堂に永遠に残されていくことは
ファンとしてこれ以上嬉しいことはありません。
そして、「野球の殿堂」の投票者の方々にお礼を言いたいです。
津田を覚えていてくれて、本当にありがとうございます!
最後のストライク―津田恒美と生きた2年3カ月 (幻冬舎文庫)
- 作者: 津田 晃代
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1998/06
- メディア: 文庫
もう一度、投げたかった―炎のストッパー津田恒美・最後の闘い (NHKライブラリー)
- 作者: 山登 義明
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 1996/11
- メディア: 新書
ご当地でございます(笑)
地元の新聞ではスポーツ面トップニュースです(^w^)
当然ですね。。。
津田プレートは新しい球場に移設されて
今の投手たちを叱咤激励していますよ(^w^)
by rtfk (2012-01-15 14:53)
rtfkさま
ご当地ですよね~。今年は若い投手が北別府、津田を目指して奮起してくれると我らがカープも躍進が期待できそうです。
by opas10 (2012-01-15 16:53)
いい話ですね。
そんなテレビ番組が、あったのですね。
今じゃ、古葉監督の教えを請うているのですね。
by 八犬伝 (2012-01-15 20:38)
opas10さんの広島カープに対する熱い思いが伝わってきました ^^
「赤ヘル軍団」はどことなくなつかしいですね。当時はすごかったです。
by carotte (2012-01-15 21:51)
八犬伝さま
この番組だけで受信料払っていてよかったと思いました(笑)。親子二代で古葉監督のもとで野球をやっているんですよね!ファンにとっても感慨深いです。
carotteさま
カープのこと、しかも津田のこととなると、ついつい熱くなってしまうものでして(^-^ゞ。あの頃の赤ヘル軍団は、本当に強かったんですよねー。
by opas10 (2012-01-16 23:10)