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神田界隈の看板建築 [建築、デザイン]

そもそも「看板建築」とは何か?

Wikipediaでは、「関東大震災後、商店などに用いられた建築様式。建築史家藤森照信が命名したもの。」

と実に簡潔かつ正確な表記をしていました。

一言でいえば「古い商店建築の一様式」。おもに昭和初期に関東で大量発生しました。

以下藤森先生の著書からの受け売りですが、

関東大震災による火災で東京の下町一帯は壊滅的な打撃を受け、

復興の際にはその教訓で「家屋の不燃化」が大きなテーマになりました。

また、区画整理で道路幅を拡張したことで道路に面した商店などでは敷地面積が削られ、

それまでのような出桁づくり(軒を道路にはりだす様式)だと店の面積が

かなり減ってしまうことになりました。

そこで登場したのが「看板建築」。

建物の外側をモルタルや銅板で覆うことで不燃化対策を施し、

モルタルや銅板のファサードに洋風の意匠を加えることで

店のアピールを行うというもの。

一昔前だと、ちょっと下町の横丁に入るといくらでも見つかったものですが、

バブル期の地上げや外資系の再開発ラッシュのせいで下町の横丁自体が壊滅しているので

いまやかなりの希少品種になってきています。

とはいえ、藤森先生から「看板建築の宝庫」と呼ばれていた神田界隈、

まだまだ探せば見つかります。

博報堂旧本社を眺めた後、靖国通りの裏道を通って岩本町方面に向かう途中、

本郷通り沿いで発見。

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商売自体はもうやめているようで、残念ながら業種不明。

かなり立派な構えです。

須田町の交差点近くの路地裏にあるのが知る人ぞ知る

「岡昌裏地ボタン店」。

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渋いです、ここ。写真では表現しきれないです。

裏地とボタンの専門店というのも渋い。さすが繊維問屋が集まる岩本町界隈。

さらにここから数軒隣にも名作が。

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お宅の持ち主の名前も銅板のファサードに入っています。

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「高山松蔵」、銅板表札ですな。

さらにその隣には、藤森先生の著書「看板建築」(そのものズバリの名前)にも登場した名作

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「海老原商店」。

ディテールがお見事!!

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こういった看板建築は、当時の職人が意匠から仕上げまで

自らの技量と工夫で作り上げたものなので、

いわいる様式建築のような「気品」とか「権威」には無縁ですが

何ともいえぬアヤシさとキッチュさがたまらない魅力です。

さて、「岡昌裏地ボタン店」の向かいにこれまたアヤシげな魅力をもつ神社が。

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「稲森神社」。

なんとここは「狛犬」でなく

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「たぬき」!!

東京神社庁のHPによるとこの稲森神社は、「室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、

多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する」由緒正しい神社だそうです。

そんな由緒正しい神社にタヌキが祀られているのは

 「おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上に

ご利益があると信奉されている。」からだそうで、

当然opas10も「金運向上」をお祈りしてきました(笑)。


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あおい君と佐藤君と宗男議員

そうそう、ここは金運・玉(ぎょく)運、どちらも御利益ありですね。(笑)
看板建築、みんなシャッター閉まってますね。
ビルに挟まれて、窮屈そうですね。

by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2009-10-24 21:40) 

opas10

宗男先生

玉(ぎょく)運のご利益があるとそれはそれで大変そうですね(笑)。
休日に回ったこともあってみんなシャッター閉まっていました。都心は古い建物を建て替えると必ずビルになっちゃうので古い建物は本当に窮屈そうに建っています。UAのエコノミーで外人に挟まれて座る日本人客みたいです。
by opas10 (2009-10-25 14:04) 

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