明治屋と慈恵医大 [建築、デザイン]
ジョサイア・コンドルの弟子といえば、辰野金吾、片山東熊は、
数多く国家的なプロジェクトを手がけていることもあり、比較的広くその名を知られています。
一方で曽根達蔵は、組織(海軍、三菱)に入って仕事をしたり、早くから事務所を開設したりして、
個人の名前で遺した仕事がほとんどないことから一般にはあまりその名を知られていない上に、
コンドルの弟子というイメージも薄いような気がします。
とはいえ、設計主任としてコンドルと一緒に丸の内界隈の開発を手がけたのは曽根。
その才能は師匠から高く評価されていました。
しかも戦前には日本最大規模の設計事務所だった曽根中篠建築事務所を主宰し、
多くの市街地建築を手がけていますます。
そのひとつが京橋の明治屋(1933)。
東京の中に昔のニューヨークが残っている、とopas10が勝手に言っていますが、
今でもLower Manhattanにはこうしたテイストのビルがポツリポツリと残っています。
ディテールまでイタリアルネサンス様式でまでしっかりと作りこまれており、
実に見事な装飾。
ディテールいいけど、このビルは全体構成が実にいい。
ビル全体の縦横比、窓の形状と配置、いずれをとっても古典的なビルの模範である、
と勝手に思っています。
歴史、伝統、安心、高級といった明治屋のブランドイメージの象徴ですな。
間違ってものっぺりした現代的なビルに建て替えるようなことは考えないでほしいと願うばかりです。
さて、現役バリバリで活躍している明治屋に対して、
その帰り道に立ち寄った慈恵医大(1932)はやや悲しい状況でした。
正面にドカンと構えるのは地下駐車場の排気塔。
右手の木で隠れていますが、排気塔のすぐ横が地下駐車場への入口となっており、
いわば駐車場入り口に取り残されたようなカタチになっています。
正面から写真を撮れる場所もなく、左サイドからあおるのが精いっぱい。
アールデコっぽいけど、窓枠の装飾には様式が入っている折衷表現で、
昭和初期の建物に多くみかけるパターン。
慈恵医大は付属病院(1930)の建物が現役で活躍しているだけに、
こちらの建物の状態はちょっと残念です。
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