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年末北方活動録(3)元旦から建築行脚編 その1 [建築、デザイン]

雪かきと麺喰いしているうちに気がつけば2009年の元旦。

今回はカレンダーのせいか帰省ラッシュが1月3~5日に集中。
えきネットを過信して12月3日の午前10時に窓口へ並ばなかったopas10は
3日の予約がとれず、正月2日に東京へ戻ることになりました。
つまり、元旦がゆっくりできる最終日。

幸いにも大晦日から暖かくなり、元旦は穏やかな天気。
道路の雪も少なくなってきています。
これまでは悪天候のせいでできなかった「建築行脚」のラストチャンス。

ということで、数日前とは打って変わって穏やかな湾口の橋を渡り、
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古い建築が残る旧市街へ。

この町は、明治時代から昭和30年代にかけて石炭積み出しの港として栄えました。
opas10が子供のころには、繁栄の名残りが多少は残っており、
それなりに歴史のある企業や老舗の飲食店、倉庫が立ち並んでいました。

しかし、エネルギー革命の進展で北の炭鉱も閉山して石炭荷役がなくなり、
港湾荷役関連業務の人と企業が姿を消しました。
さらに、大消費地に近いところへ人工港ができたことで港湾荷役取扱量自体が激減。
町のスプロール化現象ともあわせて、旧市街の人口は急速に減少し、
いまやすっかり寂れてしまいました。

10数年前までは、往時の繁栄を偲ばせる商店や倉庫がそれなりに残ってたのですが、
日本全国共通の「土建屋政治」、「道路建設行政」の悪弊により、
いい感じで寂れていた港の周辺を中途半端に再開発したために
古き良き建物がかなり失われてしまいました。
そのため、「古いロマンの香りが残る港町」という
小樽、函館のようなポジションを作れず、
単に時代に取り残された虫食い開発の中途半端な町という
どうしようもないポジショニングに陥っています。

そうした中でも、古い下見板張りの建物をきれいに手入れして使っている稀有な例がこれです。
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明治時代、東北と北海道の開発は、おもにアメリカ人の指導のもとに行われました。
そのため木造建築の様式は、アメリカ開拓時代の影響をモロに受け継いだ
下見板張りが主流となっています。
札幌の時計台や、山形県に残っている木造建築などがそのいい例です。
この建物もその時代の流れに位置するものでしょう。
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確か昔は船舶運輸会社の事務所だったようなおぼろげな記憶が。
まだまだ現役の建物です。

明治時代の看板建築も残っています。
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なんと明治43年の建物だそうで。
モルタルの細かい意匠が見事です。
その時代はこの店の周辺が町の中心部だったらしいので、
贅をこらした建築にしたのでしょう。

さらにもう一点、これも明治の建物です。
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老舗の商店でこちらは銅板貼りの看板建築。
できた当時は相当モダンだったことでしょう。
opas10が小学生くらいのころには結構繁盛していました。

やや時代は下って、昭和20年代後半~30年代前半と思われるアールデコ調。
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昔はレコード店だったような記憶が。
角のアール部分が塔屋を思わせます。

(つづく)





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コメント 2

あおい君と佐藤君と宗男議員

へ~!
ここは、駅舎からすると室蘭の町でございますか?
この街は、製鉄所の明かりが煌々と光っている景色が、記憶に残っております。
素晴らしい建物がたくさん残っているんですね。
もう少しお手入れさえすれば、すごくかっこいいと思います。
でも、あんまりお手入れし過ぎない方がほんとは好きですが。(笑)
へたに観光化されるより、さりげなく古い建物が使われているってのが、一番理想ですよね。
行ってみたいなぁ~♪


by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2009-09-21 17:23) 

opas10

早速のご来訪どうもありがとうございます。このへんの建物はお手入れしないどころか放置プレイ状態でして、あと5年もすると崩壊するんじゃないかという別な心配をしております(笑)。

by opas10 (2009-09-21 19:59) 

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